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2008年01月15日

プロフィール② 製造会社M&A

四谷に東京支店のオフィスを開店しわずか3ヶ月で月次黒字になる。
そして1年後には月商1億を越した。その結果社長は壮大な目標を私に与える。

今までは販売会社だったがメーカーになりたい。その意向を私に伝え、私はそれから間もなく横浜の会社を買収することとなる。今で言うM&Aである。


その話に入る前に20代の写真を紹介しよう。
1〜3枚目は20代半ばのころである。


本題から数年さかのぼるが、
大学時代ビッグバンドジャズでコンサートマスターをしていて、東都大学3位に輝いたときの写真だ。そして卒業後プロ生活を楽しんだ。

しかし、仕事はジャズの仕事はほとんど無く、TVでの歌伴の仕事ばかりが続いた。丁度郷ひろみ、西城秀樹、森雅子のデビューで一緒の仕事が多かった。特に秀樹とは旅によく行った。

ジャズの出来ないバンドにあいそをつかし、サラリーマンの道へと進むことになる。

そして、四谷オフィスの時代にある潰れかかったメーカーに飛び込んだ。


そこには82歳の社長さんが一人いた。

その会社は厚生省認可の温浴剤の製造許可と、新潟に自社鉱山を所有し、20数年かけて試掘権までも所有していた。

私はこの会社に焦点を絞り、会社を買収しようと企むのである。
このメーカーの木村社長は82歳で、話好きのお年寄りで初めて伺ってから毎回2時間も世間話をしてくれた。この会社の後継者がいないことを嘆いていたのである。

私はお宅の製品を毎月1万個注文したいが納品可能か?と強気の営業を仕掛けた。

実はどうもこの会社には社長以外誰も出勤していない様子がうかがえたからだ。
案の定製造なんて出来るはずがない。


木村社長は私をとても気に入ったから、貴方に会社を上げるよ!

と申し出てきた。胸のうちでやった!と叫んでいた。


ただで貰えると思っていたら、5億円で会社を買って欲しいということであった。


そして交渉の末2億円で買収となるのである。

厚生省製造許可を持つ製造会社と試掘権の持つ鉱山会社の2社を2億だから非常にいい買い物をしたと思う。

契約成立後何故私に会社を譲る気になったかを聞いてみた。
木村社長は私に好感を抱いたからとそれだけだった。
実は私はほとんど話してなんかいなかったのだ。ただ木村社長が話すのを聞いていただけだった。

実は木村氏は青森の出身で、ほとんどなまりが抜けていなくて、話の80%は聞き取れなかったのである。だから私は必死に聞いた。ただ聞いたのである。


 人の話をよく聞け!とよく言う。人の話を聞く人は好かれる。人は自分が話すことを聞いて上げると同じ意見を持ったように錯覚する。この諺の通り聞く耳を持っただけでM&A成功した。


そして、四谷から横浜へ支店の移転である。
そして私はメーカー2社の専務取締役に就任することになる。若干30歳である。


専門家一人を役員として継承し、いよいよ製造会社として誰もいない会社を運営することになるのだが、そこに新たな試練と奇跡が起こるのです。